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2011年8月16日 (火)

昆布の歴史3/6

明日から仕事・・・その前に

「昆布の歴史3/6」

 さて、この昆布が、室町時代になりますと、船舶が大型化し、廻船問屋が発達してきした

。北前船という大型船が日本海を通って酒田、富山そして敦賀へと、所謂「昆布ロードが開

かれました。敦賀から京都へは「鯖街道」 ー京都は内陸のため魚がないため塩鯖が珍重

されていた。今でもしめ鯖は京都の名物ー が既にあり、これを利用し、昆布が流通しま

した。

当時の東山文化とあいまって、今日の京料理の発祥となったらしく、関西の出し文化の形成

に大きな役割をはたしました。

 その後、太閤秀吉の時代になり、大阪が「天下の台所」として諸物産の流通基点となりまし

た。徳川の時代にもこれが引き継がれ江戸を中心とした商品経済を下支えします。昆布も

敦賀のほうから京都、大阪へと陸路(琵琶湖、淀川も利用)で運ばれていたようです。

大阪では主として道南産の「まこんぶ」が珍重され、俗に「食い倒れ」といわれる独特の「まこ

んぶ文化」を形成しました。

 陸路、昆布を運ぶのは大変だったと思いますが、1600年代になって幕府は兵庫の河村

端賢という人に海運の開発を命じます。幸いに神戸の海は水深が深く(小さな川しかない。

それに引き換え大阪は淀川が大量の砂を運び推進が浅くなっていった)大船の停泊に便利

だったようで、天下の台所の外港として機能するようになりました。端賢は下関周りで日本海

を通り出羽(東北)に至る航路を開発し、米が流通するようにしました。

 その後1700年代に入り高田屋嘉兵衛という商人が兵庫からエトロフ航路を開発し、釧路、

根室方面の「ながこんぶ」を大量に西日本方面に持ち込みました。これより先にいいました

敦賀、小浜で止まっていた「こんぶロード」に下関周りの西廻り航路が追加され、瀬戸内海

を海路で昆布が大量に流通するようになります。

(つづく)

 

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