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2011年8月23日 (火)

昆布の歴史5/6

「昆布の歴史5/6」

話が横道にそれましたが、道東の昆布が西日本に大量に運ばれるようになりました。瀬

戸内海で嘉兵衛さんが立ち寄ったと思われる港周辺ではこの「ながこんぶ」が下ろされたでし

ょう。下関、北九州、広島、尾道、小豆島、明石、神戸、そして勿論淡路島には現在でも名だ

たる昆布屋さん、佃煮屋さんが数多く存在します。九州へ上がった昆布は遠く鹿児島に行

き、琉球(沖縄)へ行きます。これは有名な話ですが、沖縄では豚と昆布を煮て食べる習慣が

あります。一人当たりの昆布消費量は日本一で、このためか長寿も日本一だそうです。

また、これも有名な話ですが、「篤姫」で話題になった薩摩藩が琉球と昆布を貿易し、藩

財政が豊かになったとの事。

この「ながこんぶ」は関西方面の「だしをとる」文化とは別の文化をうみました。所謂「食べる

昆布」といいますが、昆布業界では「西海型」と呼ばれ、煮昆布あるいは佃煮が発達しまし

た。業界用語で、昆布を単純に手ごろな大きさに切って売るのを「葉売り」といいますが、それ

に対し佃煮などを「加工品」といいます。この加工業が大変発達しました。これには理由があ

りまして「ながこんぶ」は「出しをとる」昆布というより、醤油といいますか、調味料で適度に味

付けし煮て食べるのに適した昆布だったからです。今日の、例えば当社のおしゃぶり昆布な

どはこのような伝統といいますか、習慣でやってきたことの延長線上にあると思われます。佃

煮も同じです。

(つづく)

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