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2015年9月 9日 (水)

行楽シーズン到来!!

おはようございます。

 

上田昆布のホームページのTOPが秋mapleモードに変わって少し経ちますが、あと10日ちょっとでシルバーウイークになりますね!

皆さんはもうお休みの予定は立てられましたか?

長期旅行の予定を立てて心待ちにされているんでしょうか?

それとも、せっかくのお休みなので、身体を休めるために家でのんびり過ごされるんでしょうか?

 

旅行に行かれたり、家でのんびりされたりする時、ちょっと小腹がすくことがあります。

そんな時、上田昆布の商品を思い出してください!

一口サイズの昆布なので食べやすいですし、よく噛むと唾液で昆布が膨らんでくるので、少量でちょっとした満足感が得られると思います!!

(ただし、思いの外お腹いっぱいになるので、私はご飯前に食べすぎるとご飯が食べられなくなってしまうことがたまにあります…。)

上田昆布にはいろいろな商品(http://www.sokaikobo.co.jp/product/index.html)がありますので、よろしくお願いしま~すhappy02

2015年8月11日 (火)

お盆休み

毎日暑い日が続きますね。

今週は、先週に比べたらまだ暑さも和らいではいますが、まだまだ夏本番、暑いことには変わりありません…(^▽^;)

皆様、お身体ご自愛下さい。

 

あと数日でお盆になりますね。

私はお盆期間は実家や親戚廻り、お墓参りをする予定です。 

皆さんはご実家に戻られたり、お墓参りされたりするのでしょうか?

それともご旅行に行かれたりもするのでしょうか?
 

現在、弊社はお盆に向けて頑張って商品を作っています!

もしよろしければ、ご実家への帰省や旅行のお供を買う時に、上田昆布の商品を思い出してみてくださいね!

2015年5月25日 (月)

広島ケーキショー2015、和菓子フェスタ2015

去る5月21日~24日の4日間、広島市内のデパートの催事場にてお菓子のイベントがありました!

2年前に開催された「ひろしま菓子博2013」の記念イベントとして行われていたイベントのようです。
もともと甘いものが好きなので、どんなものがあるのか気になって、会場に足を運んでみました~(^▽^)/

会場では広島県内にある和・洋菓子店のスイーツがショーケースに並び、大勢のお客様がおいしそうな商品を店員さんに取ってもらっていました。
イートインコーナーもあったので私も食べたかったのですが、購入する段で長蛇の列。
しかものんびり展示商品を眺めていたら、見る見るお客様が購入していく有様。
残念ながら、購入はあきらめました・・・(;ω;)

あとは、マジパンを使ったデコレーションやチョコレート、アメ細工などのコンテストの入選作品が展示されていたり、お茶席などもありましたよ。
アメのつやを使ったきれいな花や金魚、ユーモアあふれるマジパンの人物や小物・・・素敵な作品が数多く並んでしました。
展示ブースとは別の場所では、パティシエ2名によるアメ細工の実演も間近で見ることができました!!
1名ががオレンジのアメを温めながらこねてちぎると、もう1名がバーナーで炙って、きれいな花びらを作り、一枚一枚貼り付けていき、きれいなバラを作っていました!!

そして、一番の目的のものを発見!!
この催事場の中に上田昆布の商品もあったんですよ\(>▽<)/

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催事場の係の方に一言お断りをして、人がいなくなった隙に写真を撮らせて頂きました。
アメ細工の実演があるコーナーの近くにきれいに並べてもらっていました。


食べ物全般で言えることですが、お菓子も味覚・嗅覚だけではなく、視覚でも楽しめるものなので素敵だなと思います。
こういうイベントをもっとやってもらえたら嬉しいのですが・・・。

2015年4月18日 (土)

ゴールデンウイークのお供に・・・。

まだ寒い日もあったりしますが、もうすぐゴールデンウイークになりますね。

皆さんはご家族や友達と旅行に行かれたりするでしょうか?

今年、私は人と会う約束はしているものの、基本的にはのんびり過ごす予定にしています。

普段、私は食事の量は多くないので、どちらかといえば「ちょこっと食い」が多いです。

特に、ゴールデンウイークなどの休みになると、人と会う待ち時間だったり、旅行の移動時間などでちょっと口寂しくなったり、小腹が空いた時には何かしら食べています。

飴などもよく食べますが、おやつ昆布を食べた時は昆布が水分を吸って膨らむため、少量で満足することが多いです。

上田昆布の商品は甘いもの、酢っぱいもの、梅のさわやかな味のものなど、昆布の風味を活かしつつ作った色んなおやつ昆布を取り扱っています。

ゴールデンウイークのお出かけ・旅行のお供に上田昆布の商品、オススメですよ!

2015年4月 6日 (月)

「HOME Jステーション」で上田昆布が紹介されました!!

久々の更新になります!

少し前の話になりますが、2月11日に地元広島のテレビ局「広島ホームテレビ」さんのニュース番組「HOME Jステーション」の中の「老舗の売れ筋」というコーナーで上田昆布を紹介して頂きました\(^o^)/

そのコーナーの中で、現在の主力商品「とろべ~」や「梅カムこんぶ」を取り上げて頂いたり、私が生まれる以前の上田昆布の社内風景や昔の商品の写真なども見ることができました。

弊社は販売方法は少しずつ変わっていますが、昆布にこだわって作り続け、今年で創業100年を迎えます。

お店で見かけたり、「口寂しいな。」と思った時に弊社と弊社の商品を思い出して頂けると嬉しいです。

(商品を買って頂けたらなお嬉しいです!!)

2011年8月25日 (木)

昆布の歴史6/6最終章

「昆布の歴史6/6」

さて、明治維新を向かえ、日清、日露戦争へと富国強兵路線が国策となります。戦争の是非

は別として、広島はこの前後大きな発展を遂げます。あまり知られていませんが、明治27年

に広島に大本営が設置され、続いて36年呉の海軍工廠設置ー後に戦艦大和などを造りま

すがー以来大陸進出の拠点として、兵站基地としての役割を担い、後の太平洋戦争まで続

きました。広島の宇品港は全国から軍人が集められ、ここから大陸へ出征してゆきました。

このころから前後して、広島周辺では食の確保が重要となり、昆布加工業もずいぶん発展

しました。輸送船に乗せる保存食、あるいは大陸にないものを輸送船に乗せるためです。

仕事を求め大阪の昆布業者が多くこの地に流れてきました。昆布の本場だった大阪のノウ

ハウと広島の加工業がドッキングしたのは想像に固くありません。いま、この地で昆布業者

を営んでいる人の多くはその末裔であろうと思われます。当社の創業者も大阪弁の人に昆布

加工の手ほどきを受けたそうです。

以上、長々と昆布の歴史をお話しましたが、いずれにしても広島はあまり知られていません

が、昆布加工については本場なのです。日本昆布協会という昆布業者で構成する組合

(全国で110社)があるのですが、広島県には25社ほど会員がいます。こんなに多くの会員

がいる県は、先ほど申し上げました富山、福井、大阪、京都、兵庫、いずれも昆布ロードの

線上ですが、それ以外はありません。多くの県では、昆布を扱ってはいても、昆布専業は

一軒もないのが普通です。

当社はそんな昆布の本場の広島で育った筋金入りの昆布屋です。作っている昆布製品は

異色ですが、このような歴史のなかの一頁を確実に刻んでいます。「おしゃぶり昆布」という

名称、商品は当社三代目が作り、世に出しました。

江戸時代、高田屋嘉兵衛さんが、はるかエトロフ、歯舞、釧路から持ち込んできてくれた昆布

を今でも加工して販売しているのが、広島の昆布屋です。

(完結)

2011年8月23日 (火)

昆布の歴史5/6

「昆布の歴史5/6」

話が横道にそれましたが、道東の昆布が西日本に大量に運ばれるようになりました。瀬

戸内海で嘉兵衛さんが立ち寄ったと思われる港周辺ではこの「ながこんぶ」が下ろされたでし

ょう。下関、北九州、広島、尾道、小豆島、明石、神戸、そして勿論淡路島には現在でも名だ

たる昆布屋さん、佃煮屋さんが数多く存在します。九州へ上がった昆布は遠く鹿児島に行

き、琉球(沖縄)へ行きます。これは有名な話ですが、沖縄では豚と昆布を煮て食べる習慣が

あります。一人当たりの昆布消費量は日本一で、このためか長寿も日本一だそうです。

また、これも有名な話ですが、「篤姫」で話題になった薩摩藩が琉球と昆布を貿易し、藩

財政が豊かになったとの事。

この「ながこんぶ」は関西方面の「だしをとる」文化とは別の文化をうみました。所謂「食べる

昆布」といいますが、昆布業界では「西海型」と呼ばれ、煮昆布あるいは佃煮が発達しまし

た。業界用語で、昆布を単純に手ごろな大きさに切って売るのを「葉売り」といいますが、それ

に対し佃煮などを「加工品」といいます。この加工業が大変発達しました。これには理由があ

りまして「ながこんぶ」は「出しをとる」昆布というより、醤油といいますか、調味料で適度に味

付けし煮て食べるのに適した昆布だったからです。今日の、例えば当社のおしゃぶり昆布な

どはこのような伝統といいますか、習慣でやってきたことの延長線上にあると思われます。佃

煮も同じです。

(つづく)

2011年8月20日 (土)

昆布の歴史4/6

「昆布の歴史4/6」

高田屋嘉兵衛という人は、淡路島の生まれの人ですが、赤貧の幼少時代を経て、船乗りとし

て頭角をあらわし、持ち前のバイタリティーでそれまで未開の地だった道東から現在の北方

四島まで航路を開発し、当時千島列島を南下してくるロシアとの国防を急ぐ幕府に協力しエト

ロフ島とクナシリ島間の航路を開き、新たに漁場を開くなど活躍します。その後不慮の事故

に遭遇、ロシア側にとらわれの身になり、カムチャッカに幽閉され-その少し前ロシアの軍人

が日本側に侵入したため、とらわれの身になっていた。嘉兵衛はその身代わりのような形で

捕えられた-ますが、ロシア側に言葉をつくし説得し幕府側との和解を成功させ自分自身を

含めての「人質交換」をし、日本に帰る、という数奇な運命をたどった人です。函館の町は彼

が作ったようなもので今では銅像が建っています。詳しくは司馬遼太郎著「菜の花の沖」を読

んでみてください。面白い本です。

(つづく)

2011年8月16日 (火)

昆布の歴史3/6

明日から仕事・・・その前に

「昆布の歴史3/6」

 さて、この昆布が、室町時代になりますと、船舶が大型化し、廻船問屋が発達してきした

。北前船という大型船が日本海を通って酒田、富山そして敦賀へと、所謂「昆布ロードが開

かれました。敦賀から京都へは「鯖街道」 ー京都は内陸のため魚がないため塩鯖が珍重

されていた。今でもしめ鯖は京都の名物ー が既にあり、これを利用し、昆布が流通しま

した。

当時の東山文化とあいまって、今日の京料理の発祥となったらしく、関西の出し文化の形成

に大きな役割をはたしました。

 その後、太閤秀吉の時代になり、大阪が「天下の台所」として諸物産の流通基点となりまし

た。徳川の時代にもこれが引き継がれ江戸を中心とした商品経済を下支えします。昆布も

敦賀のほうから京都、大阪へと陸路(琵琶湖、淀川も利用)で運ばれていたようです。

大阪では主として道南産の「まこんぶ」が珍重され、俗に「食い倒れ」といわれる独特の「まこ

んぶ文化」を形成しました。

 陸路、昆布を運ぶのは大変だったと思いますが、1600年代になって幕府は兵庫の河村

端賢という人に海運の開発を命じます。幸いに神戸の海は水深が深く(小さな川しかない。

それに引き換え大阪は淀川が大量の砂を運び推進が浅くなっていった)大船の停泊に便利

だったようで、天下の台所の外港として機能するようになりました。端賢は下関周りで日本海

を通り出羽(東北)に至る航路を開発し、米が流通するようにしました。

 その後1700年代に入り高田屋嘉兵衛という商人が兵庫からエトロフ航路を開発し、釧路、

根室方面の「ながこんぶ」を大量に西日本方面に持ち込みました。これより先にいいました

敦賀、小浜で止まっていた「こんぶロード」に下関周りの西廻り航路が追加され、瀬戸内海

を海路で昆布が大量に流通するようになります。

(つづく)

 

2011年8月12日 (金)

昆布の歴史2/6

今日は長文です。最後までお読み頂ければ幸いです。

「昆布の歴史2/6」

 『続日本記』(797年)の記述に蝦夷の須賀君古比留(すがのきみこまひる)らがやってき

て、昆布を献上した、とあります。これが、古文章にでてくるコンブに関する最古の記述で

すが、「祖先以来貢献昆布」と書いてありますから、少なくともそれ以前の古くから食べられて

いたものに違いありません。

 それはともかく、「昆布」という言葉は既にこのこらから使われていて、日本語としても古い

わけですが、どうも語感からいいますと、アイヌ語だったのではないかと思われます。例えば

「カズノコ」ですが、アイヌ語でニシンのことを「カド」というそうです。「カドの子」が変化して「数

の子」になった、というせつ説があるそうです。

 余談ですが、北海道の各地に地名は、アイヌ語が多く、現在の漢字の地名は当て字だそ

うです。根室(ネモロ)、納沙布(ノシャップ)、広尾(ビロー)、落石(オチイシ)、様似(サマニ)、

厚岸(アッケシ)、釧路(クシロ)、長万部(オシャマンベ)、・・・などです。

そういえば「昆布」もなんとなく本来の日本語としては、不思議な言葉だと思います。

 昆布はこのように日本人にとって古くからなじみの深い食品として愛用されたものです。

何よりも食物繊維、ミネラルなどが豊富にあって健康によいということもさることながら、味そ

のものが非常に日本人好みであった、ということがその要因と思われます。最近、アメリカと

かフランスなどで日本食ブームだそうですが、「旨み」という食文化が世界に認められつつあ

ります。これも余談ですが、「味の素」は最初ー今はわかりませんがー昆布から抽出したグ

ルタミン酸から作ったそうです。

(つづく)